
1980年オープン以来ロックを中心に日本の音楽シーンを支え続けてきた目黒鹿鳴館。その灯が今、消えようとしています。契約満期と移転白紙という現実の中でも、「この場所をなくしてはいけない」という想いで継続を決意しました。音楽の原点を未来へつなぐための挑戦に、どうか力を貸してください。
鹿鳴館、存続への挑戦
この場所を、なくしてはいけない。
そう思ったことは、ありませんか?
日本のロックシーンを支え続けてきたライブハウス「鹿鳴館」

数々の伝説を生み、多くのアーティストとファンの“原点”であり続けてきたこの場所が、いま存続の危機に立たされています。
それでも僕たちは、この灯を絶やしたくない。
「音楽の仕事がしたい」その想いから、鹿鳴館と共に歩んできた人生
はじめまして。
鹿鳴館代表取締役の山口と申します。

私は1987年に鹿鳴館に入社いたしました。
「音楽の仕事がしたい」と上京したものの、最初はなかなか機会に恵まれず、飲食店を掛け持ちする日々。
そんな中、先輩の紹介で鹿鳴館にバンドスタッフとして出入りするようになりました。
当時から鹿鳴館は有名なライブハウスで、「まさか自分がここで働けるなんて」と、胸が高鳴ったのを覚えています。
照明や音響を学び、現場で経験を積み、やがて店長、そしてオーナーとしてこの場所を引き継ぐことになりました。
気づけば、人生のほとんどを鹿鳴館と共に歩んできました。
日本のロックを生み出してきた場所「鹿鳴館」が“伝説”であり続ける理由
1980年にオープンした鹿鳴館は、日本のロックシーンを語る上で欠かせない存在と自負しております。

X(現:X JAPAN )・LUNA SEA・BABYMETAL・GLAYなど
こうした多数のアーティストたちがステージに立ち、数々の伝説がここから生まれてきました。
キャパシティは約300人。
決して大きな会場ではありません。

しかし、天井が高く、ステージも高い。
演者の頭の先からつま先までしっかり見える空間。
「アーティストのすべてを届ける」ための設計です。
ライブハウスは、ただ音楽を聴く場所ではありません。
アーティストの覚悟や、観客の熱狂がぶつかり合う、“生きた空間”です。
鹿鳴館は、その最前線であり続けるよう演者や関係スタッフ、またご来場いただくお客様と共にこれまで続けてきました。











