
このプロジェクトについて
志津で15年活動する主婦が元パン屋を誰もが寄れる、街の縁側《ゑびるちゃん》へ。365日開かれた、用事がなくても居るだけで心が整う私設公民館を作ります。大人が整い、孤独が溶ける。街に「ただいま」と言える居場所を灯します。
あなたの街に「ただいま」はありますか?
「今日、誰ともしゃべってないな。」
そう思いながら一日が終わる夜があります。
それは特別な出来事じゃなくて、誰の暮らしにも起こる事。
孤独は、遠い誰かの話じゃありません。
同じ街に住んでいるのに、隣の人の顔も、悩みも、好きなことも知らない。
気付けば、街の中に「ひとり」が増えていく。
私は、志津で15年暮らし、活動を続ける中で、何度も見ました。
「元気です。」と言いながら、目だけが笑っていない人。
「迷惑をかけたくない。」と言って、助けを飲み込む人。
その時、人を救うのは、正しいアドバイスではありませんでした。
たった一言の...
「おかえり。」
ただそれだけで、人は呼吸を取り戻す。
だから私は決めました。
元パン屋を、街の縁側に変えます。
用事がなくても来ていい。
何者でもなくていい。
あなたがあなたとして、そこに居るだけでいい場所、志津に創ります。
あなたの支援が、その灯りをともします。
はじめまして。志津の「おせっかい」オカユカです
こんにちは、はじめまして、オカジマユカ(通称:オカユカ)です。
新潟から縁もゆかりもない千葉県佐倉市・志津に住んで15年。
私はこの街に「一目惚れ」して家を建てました。
でも、暮らし始めて聞こえてきたのは、「何もない」「面白くない」という自虐の声。
・・・だったら、私たちで面白くすればいい。
その直観から、私の‘’おせっかい‘’な挑戦が始まりました。
私は、リーダーになりたかったわけではありません。
ただ「あ、今日もお元気そうで!」と笑い合える、
昭和の縁側みたいな手触りのある関係性こそが、人を、そして、私自身を救うと確信しただけです。
なぜ今やるのか。「前例がない」はもう聞き飽きました。
正直に言うと、私は何度も思いました。
「制度があるのに、どうして救われない人がいるのだろう。」って。
行政のルールは必要です。でも、ルールだけではこぼれ落ちてしまう孤独があります。
「前例がない」「規定が…」その言葉の間に、静かに飲み込まれていく「助けて」がある。
そして、もう一つ。
商店街のシャッターが閉まるたび、街の温度は下がっていく気がした。
人が集まる‘’余白‘’が消えると、街は静かに痩せていく。
だから「みんなの縁側ゑびるちゃん」は、単なる施設ではありません。
私が15年、この街で転び、傷付き、見つけた...
「人は関係性のなかでしか救われない。」
その真理への挑戦状です。
15年の遠回りが教えてくれた真理。
様々な活動を続ける中で気付いたことからゑびるちゃんのコンセプトに辿り着きました。
◾️2019年~「ふわいえ」:関われる誰かがいることが、生きがいになる
ショッピングセンターの中で、ハンドメイドショップ兼コミュニティの「シェアアトリエふわいえ」を運営してきました。
最初は‘’作家さんの場‘’として始まったのに、続ける中で気付きました。
ここは作業場じゃない。人生を立て直す場だ、と。
介護の合間に「ふぅ。」っと息をしに来る人。
誰かの話に刺激を受けて「私もやってみようかな。」と顔が変わる人。
ただ聞いてもらえるだけで、明日が少し軽くなる人。
そこで確信しました。
関われる誰かがいること。それ自体が、人の生きがいになる。
◾️2022年~「ふるまい百貨店」:お金を介さないギフトの力
公園で、お金を一切介さない「ふるまい」のみのイベントを始めました。爪磨き、手仕事、得意なこと、好きなこと。
数分前まで他人だった人たちが、笑い合って繋がっていく。壁が薄くなる瞬間を何度も見ました。
◾️2023年〜「まち×Marchプロジェクト」:大人が整うと、街も整う
毎月、街の公園に顔を合わせる機会を作り続けました。ここではあえて「大人」に焦点を当てました。
大人が「整う」・・・心が満たされて活き活きとしている状態になれる事で、街が安心安全に編まれていく。
そして確信しました。大人が本気で楽しんで心が整えば、年齢に関係なく人が引き寄せられる。
「大人が整えば、子どもも整う。街も整う。」
でも、公園は天候に左右される。夜は止まる。イベントでは「日常」になりきらない。
だから...365日、いつでも立ち寄れる形にする。それが今回の挑戦です。









