矢掛町を盛り上げる焼き菓子店を開業したい

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矢掛町を盛り上げる焼き菓子店を開業したい

はじめまして。溝手悠太と申します!

 

岡山県中部、吉備高原出身。(中学校は岡山市立足守中学校)

そんな私が目指すのは、

 

矢掛町で焼き菓子店をつくること!

 

 

え?矢掛?なんで?足守から遠いのに…焼き菓子店…?

少し長くなりますが、私のこれまでの人生を聴いてください。

 

 

私は小学生のころ、将来なりたいものを聞かれたら、迷わず「お菓子屋さん」と答えていました。他の家に比べると、私の家庭はあまりお菓子を買わない方針でした。だからこそ、小さいころから、お菓子そのものに強い憧れがあったんです。

 

お菓子が無ければ作ればいい!

 

毎週のように、家でお菓子を作っていたあの頃。分量を量ること。オーブンの前で、焼き上がりを待つこと。それらの時間が、ただ純粋に楽しかった。友達や先生に「すごいね」「おいしいね」と言われることが、何より嬉しかったです。

 

図書館でお菓子の本を借りると、知らない材料や、見たことのないお菓子が並んでいて、その未知の世界に、ワクワクが止まりませんでした。

 

けれど、この話は「それが夢になって、いま叶いました」という物語ではありません。

 

そんな楽しい!ワクワクする!の裏側では、こんな言葉を受け取っていました。

 

「男の子なのに……」

「ちゃんとした道を考えなさい」

「恥ずかしくないの?」

 

…忘れられない出来事があります。

 

小学校三年生の秋。友達が家に遊びに来るのを楽しみに、その子のためにクッキーを焼こうとしていた日のことです。分量通りに量ったバターを見て、「もったいない」と父に言われ、半分以上を減らされました。

 

その結果、クッキーは失敗してしまいました。

 

「せっかく友達のために作ったのに」

 

そう思うと、とても悲しくて、その気持ちは、今でもはっきり覚えています。

 

そのあと、友達は家に来ました。本当はクッキーを焼いていたけれど、私はそれを隠していました。すると父が、友達を呼びました。

 

「ねぇ、○○ちゃん。この子はね、お菓子屋さんになりたいって言っているけれど、こんなのしか作れないんだよ。」

 

そこに出されたのは、失敗したクッキーでした。子どもだった友達は、「おいしそうだよ」「いつもは上手だもんね」そう言って、気を遣ってくれました。

 

その時の父の行動理由はきっと、自分の息子がお菓子屋さんになって欲しくないという気持ちをうまく咀嚼できずに、少し間違ったアプローチをしただけだと今になって思います。私にだってそんな行動をしたことないかと言われれば言い切れません。

 

でも、当時の繊細な自分にとっては大きなショックを与える出来事でした。そしてその光景を見たとき、私は心の底から思いました。

 

もしかしたら、自分が夢を追うことそのものが、間違っているのかもしれない、と。

 

そんな逆風は、その後も何度かありました。それでも、小学校六年生くらいまでは、お菓子作りを続けていました。ただ、周りの人が困る顔をするのを見るたびに、少しずつ成長していった私は、夢に蓋をすることが、当たり前になっていきました。

 

そんなふうにして、夢を諦めることが当たり前になっていった私。その少しあとに出逢ったのが、矢掛町でした。

 

多感な時期でもあり、家でも、学校でも、小さな衝突が重なるようになっていました。どこかに逃げ場をつくりたいと思っても、それは簡単なことではありませんでした。

 

「とにかく、正解かはわからないけれど、どこか遠くの高校に行こう」

 

そう決めて、手に取ったのが岡山県立高校の一覧表でした。ダーツの旅のような感覚で、適当に、できるだけ遠そうな高校を探していたとき、目に入ったのが【矢掛高校】でした。当時はまだ中学二年生。まさか、ここが自分の母校になるなんて思ってもいませんでした。

 

転機になったのは、オープンスクールでの学校見学でした。初めて矢掛町に降り立ったとき、理由はわからないのに、はっきりとした感覚がありました。

 

「あ、ここだ」

「私は、矢掛のために生まれてきたのかもしれない」

 

今でも、なぜそう思ったのかは説明できません。けれど、その確信だけは、ずっと消えずに残っています。進学後は、矢掛の人たちとつながりを持ちたいと思い、報酬のない形でも、個人的に町での活動を始めました。

 

この場所では、全員とは言えないけれど、こんな言葉を、驚くほど自然に受け取ることができました。

 

「やりたいなら、やってみたらいい」

「失敗しても、やめなければいい」

 

その言葉に支えられて、高校時代の私は、矢掛で、のびのびと自分の表現をするようになりました。押し込めていた気持ちや、諦めたはずの感覚が、少しずつ、息をし始めた時間だったと思います。

 

 

 

やったことの例えば。矢掛町にある耕作放棄地で、ラズベリーを育てました。

 

ラズベリーは、セルビアやロシアなどの寒冷地で多く栽培されている果実で、日本では産地がとても限られています。特に、温暖な岡山県では、生のラズベリーを手に入れることは、ほとんどありません。それでも私は、「岡山でも育つ」ということを知っていました。

 

小学校4年生のころ、お菓子作りの本の中で見つけたラズベリー。「ワクワク」とした感情を抱いたもののひとつ。どうしても食べてみたくて、苗を探し、家で育てたことがあります。うまく実がならない年もありましたが、それでも、岡山の土地で育つことを、そのとき、身体で覚えました。

 

ラズベリーという名前の響きや、赤くて、少し繊細な見た目にも、当時から惹かれていた気がします。「かわいい」という感覚は、理由としては弱いかもしれません。けれど、ものを選ぶときの、いちばん正直な動機でもあると思っています。そして、手に入りづらく、高く売れる。でもお菓子作りで需要も沢山。

 

だから、矢掛で育てて特産品化ができれば矢掛をよくするひとつの材料ではないかと感じたのです。

 

 

「矢掛ラズベリー」が生まれるまで

 

 

最初から、畑があったわけではありません。はじまりは、矢掛町のお花屋さんのおばあちゃんに相談し、その花屋さんを中継地点にラズベリーの苗を、町の人たちに配ったことでした。「よかったら、育ててみませんか」そんな、かなり控えめなお願いからのスタートです。

 

そのとき、「矢掛ラズベリー」という名前をつけ、小さなチラシを作りました。自分ひとりで作るのではなく、プロのデザイナーにお願いして、言葉や見え方を一緒に考えてもらいました。その経験が、どう魅せるかということに強く興味を持つきっかけになりました。

 

苗をきっかけに、少しずつ、町の人たちと話すようになりました。「うちでも育ててみようか」「昔、ここで畑をしていたんだよ」そんな会話が重なっていく中で、人と人とのつながりが、豊かに広がっていきました。

 

そうしてようやく、矢掛町に残っていた耕作放棄地を使って、ラズベリーを育てることができるようになりました。土地が先にあったのではなく、人との関係が、場所をつくってくれた。私は、そう感じています。