2022年に劇場公開した映画「Yokosuka1953」。この映画で調査して知った当時の人々の言葉、この映画をきっかけに知った戦後混乱期の女性と子供たちの物語。それを文章に紡ぎ、出版するプロジェクト。
Yokosuka1953
はじめまして。私は普段、和歌山大学観光学部で教員をしております、ドキュメンタリー映画『Yokosuka1953』の監督、木川剛志です。『Yokosuka1953』は2022年より劇場公開を開始しました。この映画の背景にある、戦後の混乱期における女性や子供たちの物語を、本としてまとめたい。そのためにはみなさまの支援が必要です。どうぞ、よろしくお願いします。
バーバラ・マウントキャッスルさん(左)と木川剛志(右)
映画『Yokosuka1953』は、2018年の夏、私のFacebookにアメリカからメッセージが届いたことから始まります。アメリカ合衆国テキサス州に住むバーバラ・マウントキャッスルさんは、1947年に神奈川県横須賀市で生まれました。父親はおそらくアメリカ人、母親は日本人でした。バーバラさんは母親の愛情をしっかりと受けて育ちましたが、当時はまだ混血児に対する社会の視線は厳しい時代。それも一つの理由でしょう、バーバラさんは5歳の時、児童福祉施設に保護され、1953年に養子縁組によって渡米することになりました。実母は何度も施設に会いに来てくれましたが、彼女がバーバラさんに伝えた「必ず迎えに来るから」という約束は果たされることはありませんでした。
それから65年後、バーバラさんはアメリカで子供や孫に囲まれて生活していましたが、実母を探すことを決意します。そこで、Facebookを通じて木川信子さんの親族を探そうとしたのです。木川剛志に届いたメッセージは「木川信子を知っていますか?」というもの。バーバラさんの日本名は木川洋子。「信子」は彼女の実母の名前です。そして、私はただ「木川」という同じ名字を持っていたことから、バーバラさんからメッセージを受け取ることになったのです。
もちろん、私は同じ「木川」という名字を持ってはいますが、横須賀の木川家とは無関係です。木川信子さんを知りません。しかし、研究者として空襲や戦後の都市計画を研究していたこともあり、また、当時は彼女が養子縁組された歳と同じ、5歳の息子がいたこともあり、何か手助けできないだろうかと思い、横須賀へ向かい木川信子さんの消息を探すことにしました。こうして映画となったのが『Yokosuka1953』です。