精神・発達障がいを持つ方々が参加できるフットサル(ソーシャルフットボール)の女性選手の大会や練習会を複数回行い、選手の定着・競技力の向上・同性選手との交流を目的とし、一人の選手としての成長、さらにはいずれ女子日本代表チームに繋がる活動を目標とします!
私、浅井香名子は、精神障がい・発達障がいを持つ方々が参加できるフットサル(ソーシャルフットボール)の選手を2012年から始めて12年になります。 ソーシャルフットボールは、càlcio socialeという、イタリアの分け隔てないインクルーシブなフットボールを起源とし、日本国内では、精神障がい者フットサルを指し、女性を含むと最大6名出場出来る特別ルールがあります。
もともとは、女子サッカーを中学・高校とプレーし、キャプテンも務めましたが、不器用な自分に苦労し、怪我も多く、他の部員と比べ何か違和感を感じていました。
18歳頃には、ADHD(注意欠陥・多動障がい)を新聞で知り、診断を受けたかったのですが、家族に理解がなく、その後、発達障がいの診断を受けに行けたのは25歳の時の事でした。
ソーシャルフットボールを始めたきっかけは、転職を繰り返し、生きづらさを感じていた時になでしこジャパンが2011年W杯で優勝し、勇気をたくさんもらいその熱も冷めやらない中、翌年近くに就労移行支援事業所(障がいを持つ方の為の職業訓練所です)が出来たので通い始め、数ヶ月経った頃に運動プログラムでソーシャルフットボールがあったので参加したのがきっかけです。
「また、ボールを蹴るのは楽しい。」そして、もともと通院していた病院のデイケアチームに移籍してプレーをしていました。
そして、2014年に、愛知県下の各ソーシャルフットボール実施施設の県選抜チームに選出され、estrellaAichiの選手として第一回ソーシャルフットボール全国大会に出場しました。それが、自主運営チームとして再編成し、現在所属している「エストレージャあいち」につながります。
これまで多くの選手たちとともに、練習の日々を過ごして来ました。しかし、長い間、女性は私一人だったのです。慣れないうちは、男性のスピードや、速いボールに、怖さや抵抗を感じる時期もありました。
「もっとたくさんの女性プレーヤーに会ってみたい」
転機は、2017年、愛媛県で開催された第二回ソーシャルフットボール全国大会兼障がい者スポーツ大会愛顔つなぐえひめ体会(オープン競技)でした。
まず、この頃には愛知のチームメイトに2人の女性選手が参加してくれたこと。愛媛大会では、YARIMASSE大阪(大阪)の選手、FCPORT(横浜)の女性選手、そしてEspacioの女性選手に声をかけ、数人の女性選手と親しくなる事が出来ました。
それがきっかけで、横浜ぽるとカップにお招き頂き、初の女性カップに出場します。