▼自己紹介
NPO法人イーグル・アフガン復興協会はアフガニスタンに対して、衣類や文房具、医療品等の不足している物資の支援、アフガニスタンの復興を促すための職業訓練学校の建設等に関する事業を行い、アフガニスタンの人々の生活安定を図ることで、民族同士が共存できる平和な社会の実現に寄与することを目的として19年間にわたって事業活動に取り組んできました。
▼プロジェクトを立ち上げたきっかけ
■ A NATION STAYS ALIVE WHEN IT’S CULTURE STAYS ALIVE
■もしなお文化が生き残っているとすれば、国もまた生き残れよう
■ 長い戦乱が終わってアフガニスタンに一時の平和が戻ってきたとき、アフガニスタン国立博物館の入り口に掲げられた垂れ幕です。あの時から20年を経た今、ふたたびアフガニスタン文化は危機に直面しています。
■アフガニスタンでは、2021年8月の政変で政権を掌握したタリバンによって音楽の演奏や視聴まで禁じられたのです。
■ 音楽家たちが迫害され、殺され、暴力を振るわれた、というニュースが届きました。この1年で多くの音楽家たちがパキスタンやイランなどに逃れ、日本にも難民として2人の民族楽器ルバーブの奏者が亡命してきました。(下の写真は海外に逃れる音楽生たち、写真提供はNPO法人イーグル・アフガン復興協会)
■ さらに驚いたのは、アフガニスタン唯一の国立音楽院は、先生と生徒あわせて272人が、学校ごと亡 命し、今はポルトガルのリスボンで授業を行っているというニュースでした。
■ あの垂れ幕がいま思い出されます。
■「文化が生き残っているとすれば、国もまた生き残る」しかしその文化が消されようとしているのです。
■2021年11月19日、オンラインによるアフガニスタン国立音楽院の特別コンサートがカタールの首都ドーハで開かれた。
■アフガニスタン国立音楽院・サルマスト院長の近況
アフマド・サルマスト院長は、2014 年 12 月 11 日にアフガニスタンの中央政府フランセへのタリバンの自爆攻撃で負傷しました。この攻撃の後にタリバンが発表した声明の中で、サルマストはアフガニスタンの若者の間で汚職を広めたと非難された。攻撃の直後、サルマストは意識を失い、両耳の膜の破裂により完全に耳が聞こえなくなりました。彼はカーブルの病院の外科救急部門に運ばれた。その後、彼はオーストラリアに戻り、外科医が彼の体から 11 個の榴散弾を取り除き、片方の耳の聴力を回復することができました。サルマストは今も攻撃によるPTSDに苦しんでいます。2012 年には、ポリー ワトキンスとベス フレイの監督のもと、サルマスト博士の音楽学校と呼ばれるドキュメンタリー映画が制作されました。
■ 私たちは国を逃れてまで、自分たちの受け継いできた文化(音楽)を護ろうとするアフガニスタン国立音楽院の生徒たちと各地に逃れた音楽家たちを応援したいと思います。(下の写真は音楽生たちをいたわるサルマスト院長、写真提供はNPO法人イーグル・アフガン復興協会)
▼プロジェクトの内容
アフガニスタン国立音楽院の校長以下101名は、世界的な チェリストのヨーヨー・マなどの支援でようやく出国に成功、アフガニスタンに残っていた最後のメンバーも合流し、学校の272人全員が再会を果たした。支援を表明しているポルトガルに活動の拠点を移し、アフガニスタンの文化を守り続けるつもりだという。 彼女たちがアフガニスタンの地で自由に演奏し、歌える日はいつになるのか?
演奏が禁じられ現在のところ国外での避難生活・演奏活動を強いられているアフガニスタン国立音楽院の若い音楽家たちを支援し復興を目指します。
2023年3月12日、東京藝術大学主催により、旧東京音楽学校奏楽堂(台東区上野公園8-43)にて、アフガニスタンの人々と文化遺産を支援する伝統楽器によるコンサート「よみがえれ!アフガニスタンの旋律(しらべ)-開けた未来に向けて」が開催されます。アフガニスタン音楽の普及に努める日本人音楽家グループ「ちゃるぱーさ」が、アフガニスタンから避難し日本で暮らしながら故国での音楽復興の日を願い研鑽の日々をおくる若き音楽家たちと共に本コンサートを行います。なお、東京藝術大学様より本ストーリーへのコンサート開催記事掲載の許諾を得ております。
今回の支援金は国外に避難されているアフガニスタン国立音楽院の皆様への支援金として寄贈されます。
【寄贈に関して】寄贈先であるアフガニスタン国立音楽院様より、今回寄贈する寄付金の受け入れとクラウドファンディングのストーリーに公表されることに関しての同意を得ております。
▼プロジェクトの展望・ビジョン
近い将来において、アフガニスタン国立音楽院の若き音楽家のみなさんを東京に招致してコンサートを開催し、アフガニスタン音楽復興の新しい時代を切り拓くことを目指します。