初めまして。私は眞榮田純義(まえだまさよし)と申します。
1994年に沖縄県の本島最南端の糸満市で生まれました。
小・中・高校と県内の学校を卒業後、県内のホテルにて勤務していました。
ホテル勤務では、接客や人との関わりを学び現在は経営などの管理職を行っておりました。
性格はみんなに「クラスに1人いる番長的な人」と言われます。(笑)
学生時代から現在まで、何事にも楽しみを見つけ過ごしてきました。
趣味はバイクに乗ることと、友人とゆんたく(沖縄の方言でおしゃべり)することです。
2021年、利き手である右手に違和感を感じることがありお箸が使いづらくなりました。
その頃は腱鞘炎かな、と考えていました。
そのためあまり気にせずに過ごしていました。
2022年に入った頃には足も動かしづらくなりました。
歩行の際に転ぶことも増えたため、病院を受診を決め、
近くの整形外科や脳神経外科、そして総合病院へと受診しました。
2022年4月(当時27歳)に検査入院を行い診断がつき、
診断名は難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)でした。
ALSとは?
・手足や呼吸に必要な筋肉が脳からの刺激が伝わらないことによりだんだんやせて力がなくなっていく病気
・痛みなどの感覚や視力や聴力・内臓機能は残る
・原因不明
・常に進行性
・治療法なし
・(人工呼吸を装着しない場合)平均余命は3〜5年
診断後どう感じたか?
医師からALSの説明と余命を宣告された日、
私は家族に人工呼吸器を付けないという選択と、残りの人生思い出をたくさん作ろうと話しました。
もちろん家族や友人は診断を聞き悲しんでいましたが、
私は、「悲しむことで治る病気ではないので後悔しないように生きよう」とポジティブに考え、家族や友人に伝えました。
私が人工呼吸器を付けない選択をした理由は2つです。
1つ目は家族とこれまでのようにコミュニケーションが取れなくなるから。
人工呼吸器を装着すると、自分の声で発声することができなくなります。
今までのように自分の思いを伝えたりすることができないことは、生きている意味がないと感じました。
2つ目は家族への介護負担をかけたくないから。
ALSは全身の筋肉が動かなくなるため、今後必ず24時間の看護・介護が必要になります。
これまで家族と一緒に過ごしてきた時間も、今後家族にとって介護の時間となります。
家族へそのような思いはしてほしくないという思いと、私自身も家族と今までのような時間を一緒に過ごしたいと考えました。
そのため、家族に介護負担を背負わせて生きていくのは嫌だと思いました。
心境の変化について
そんな時SNSで、ALS患者と出会いました。
その方も私と同じ27歳でALSを診断されており、現在発症から10年経過しているそうです。
その方は現在人工呼吸器を装着しておりますが、精力的に活動されており私の希望となりました。
彼は人工呼吸器を装着しているにも関わらず、
過去に録音している自分の声をもとに視線入力でお話しされていました。
人工呼吸器を装着し今後手足が動かなくなったとしても、
自分の声で自分の思いを伝えるツールがあることを知ることができました。
彼と出会ったことで、ALSが進行した後の不安がひとつ解消されました。
そこで残ったのは家族への介護負担についてです。
家族へ今後かかってくる負担を自分の手で最小限にしたいと考えました。
何か私自身で自分の環境を整える方法はないか
現在看護師として働いている幼馴染の佐川かんなに相談しました。
そして、家族にかかる負担の一部を第三者に委託するこで家族負担が減るのではないかと考えました。
そのため私は佐川と訪問看護ステーションを作ろう!と決意しました。
私が既存の訪問看護サービスを利用するだけでなく、
自分で立ち上げようと思ったのは他にもやりたいことがあったからです。
私自身、ALSを宣告された時に誰に相談したらいいのか分からず不安がありました。
今後どうなっていくのか、どのようなサービスが必要になるのか、それらをどこで受けられるのか。
何も分からず、ただ不安な気持ちだったのを覚えております。
ですのでそのような方の窓口になりたいと考えます。
そして、私のように不安な気持ちをお持ちの方や困っている方の力になります。
そのために、私と佐川は2024年2月に会社を設立いたしました。
会社名は・・・『株式会社27』です。